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人が「縁」(間接原因)について考える時


基本用語:因縁果


 「因縁果」のうち、「因」(直接原因)と「果」(結果)は比較的実感しやすいのですが、「縁」(間接原因)は考えが及びにくいものです。例えば、何かに向かって努力して何らかの結果を出した場合、自分の努力(因)とその結果(果)は自覚しても、周囲からの助け(縁)には思いが及んでいない様な状況がそうです。

 しかしながら、人は相当の努力をしてハイレベルな成果を得たとき、「周囲への感謝」という形で「縁」に思いが及びやすくなるようです。

 例えば、オリンピックで金メダルを取った時。昨年(2008年)は北京でオリンピックがありましたが、その際のメダリストのインタビューでは、ほとんどの選手が自分の努力にはふれずに「ここまで来れたのはスタッフのお陰です。」という形で記者の質問に答えていました。

 同様な「周囲への感謝」は、書籍の後書きなどにもよく見られます。隈研吾氏の『自然な建築』という著作の後書きに次のような文章がありました。

 この本を作るにあたってお世話になった方々への謝辞を述べるつもりであとがきを書き始めたら、様々な顔が浮かんできて混乱してしまった。

 具体的な本作りにあたっては、岩波書店の千葉克彦さん、伊藤耕太郎さんに大変お世話になったし、僕の設計事務所の稲葉麻里子さんには、事務所の中に保管されている莫大な量の建築写真、図面からの選定、整理の作業をすべてお願いしてしまった。

 普通だとこれで謝辞が終わるのだが、この本の場合、ここで取り上げた「自然な建築」を実際に実現するために骨を折ってくれた人達の助けがなければ、そもそも本のもととなるストーリー自体が生まれなかった。その意味で、この本の本当の著者は、これらの建築に関わった人達ということになるのかもしれない。

 では、関わってくれた人は誰かとなると、これが「自然な建築」の場合、とてつもなく拡がっていて、宇宙の果てまでに届いてしまいそうな気分になる。木で建築を作った場合は、見事な技を見せてくれた大工さん達の顔がまず浮かぶのだが、その背後には森を大事に守り、木を育てた人達がいるわけだし、さらにその背後には、水を管理する人をはじめとして、この自然環境の繊細きわまりない循環システムを守り、支えているすべての人達がいたはずなのである。(後略)

隈 研吾『自然な建築』岩波新書1160 p.p211-212

 無限の「縁」に思いが巡らされている例です。努力し、達成することによって「縁」に思いを馳せることができる状況に至ることは、人間にとって幸せです。


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[山仁哲学堂]より
人が「縁」(間接原因)について考える時    (09/01/23)
因縁果(いんねんか)    (08/12/14)

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Posted at 09/01/23 15:01 | Edit

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